我が国の水質汚濁問題と水質保全行政の経緯に関する記述として、正しいものはどれか。
- 1いわゆる水質二法(公共用水域の水質の保全に関する法律及び工場排水等の規制に関する法律)は、1970年のいわゆる公害国会において制定された。
- 2水質汚濁防止法には、制定当初から、指定水域における汚濁負荷量の総量規制の制度が設けられていた。
- 3イタイイタイ病は、阿賀野川流域において、工場排水中のメチル水銀が魚介類を通じて摂取されたことにより発生した。
- 41989年の水質汚濁防止法の改正により、有害物質を含む水の地下への浸透の禁止など、地下水の水質汚濁を防止するための規制が導入された。
- 5水俣病の原因となったメチル水銀は、塩化ビニルモノマーの製造工程で副生し、工場排水として排出されたものである。
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正解:4
1989年の改正で、有害物質使用特定事業場からの特定地下浸透水の浸透禁止など地下水汚染防止の規制が導入されたので、4が正しいです。水質二法は1958年に制定され、1970年の公害国会ではこれに代わって水質汚濁防止法が制定されました。総量規制は1978年の改正で導入されたもので、制定当初からあったわけではありません。イタイイタイ病は神通川流域でカドミウムが原因であり、阿賀野川流域のメチル水銀は新潟水俣病です。また水俣病のメチル水銀はアセトアルデヒドの製造工程で副生したものです。水質行政は、水質二法(1958年)、水質汚濁防止法(1970年)、総量規制(1978年)、地下浸透規制(1989年)という順で整えられてきたと押さえておきましょう。
根拠:水質汚濁防止法の制定(昭和45年)及び改正の経緯(昭和53年改正:総量規制、平成元年改正:地下浸透規制)